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2006年11月26日 (日)

北大東って、こんな島【北大東2日目】

 朝は幸い、良いお天気!
 大東は、沖縄県にありますが、電波の関係上、沖縄のテレビは入らず、東京のテレビ映像が流れるので、テレビで流れるのは「関東地方のお天気」で、北大東のお天気はちっとも分からなかったのですが(^^;。島の人は、お天気予報を聞くためには、直接島の気象台に電話するか、インターネットで調べるしかないそう。)、良かった良かった。

 またもや、宿でさーちー定番のレンタサイクル(1日1000円)を借りて、出発~。

 北大東島は、昔、火山が沈んだ後の頂上にサンゴ礁が滞積し、その後隆起と沈没を繰り返してできた島だというだけあって、全体が平坦で、サイクリング向き。

  ただ、「長幕」と呼ばれる屏風のような丘が、Photo_207リング状にぐるっとまさに火口のように、盆地になった中心の集落を取り囲んでいます。3時間ほどかけて、さーちー、汗だくになりながら1周しましたよ~(ちなみに、日差しはまるっきり「真夏」です。えっ、11月末だっけ?って感じです。)。

 この島の特徴は、他の沖縄の島と違い、ビーチがまったくないこと。海と接しているところは、←いずれも切り立ったガケPhoto_210

Photo_209から、島の子供たちは海に囲まれて住んでいるのに、海で泳ぐということがなかったらしい(そりゃそうだ、見て下さい、この波。とても泳げません !)。Photo_208
← というわけで、子供達にも泳げるように、天然の岩をくりぬいて、引き潮のときだけ使える天然プール(その名も「沖縄海」!島で唯一)が作られてました。

 物資はもちろん沖縄から船で来るのですが、船が上陸できる所がないため、船からの積荷はすべてクレーンで船から上げ下げしなきゃいけないそうです。

Photo_211

Photo_212 ←港から海の表面までは2メートルくらいの高さがある絶壁なのですが、蟹さんはなんと波にもめげず、この垂直の壁を降りてました~(クリックするとアップになります)。

                      

 100年前の最初の入植者、半右衛門が八丈島から有志を募り、この島 にやってきたときも、島に上陸することができず、何度も沖縄本島に戻って、何度目かのトライでようやく上陸できたほどの天然の要塞なわけです(って誰も守ろうとしてたわけじゃないんだけど)。  

Photo_214 Photo_213

  そして、ココ(←)がその「開拓物語」の歴史的な第1歩である「上陸記念」ポイントです。

 さて、ここまで話に何度か話に出てきている「玉置半右衛門」。やはり大東を語る上で、彼の話は外せないでしょう~。

 その半生をごく簡単にまとめると、50歳にもなって鳥島で、アホウドリの羽毛や肉を海外に直接輸出する商売を始め、大儲けをしたが、その後アホウドリをほぼ絶滅させてしまったため(!)商売が下火になると、60台になって、新たな商売を始めることを思い立ち、しかも超離島である大東島に目をつけ、政府と交渉して30年間の賃下げ許可(開拓権みたいなもの?)を得て(その後さらに交渉もして所有権もゲット)、自らこの島へ移住してきて、南大東島ではサトウキビ産業、北大東島では燐鉱業を始め、成功したという、何ともバイタリティあふれる商売人兼開拓者です。詳しくは充実の北大東HPへ→http://www.vill.kitadaito.okinawa.jp/life/index.html
 なんだかさーちーの好きな吉村昭先生が(今年7月に亡くなられてしまいました。)の小説の題材にぴったりの人物という感じです。

 島では、半右衛門のレリーフも上陸記念ポイントに飾ってあるし、けっこう大切にされている感じでしたが、当時の状況からして、島から抜け出せない状態で、燐鉱労働作業に従事させられていた人もいたり(大体賃金は大東島でしか使えない金券で支払われていたとかいうし)、女工哀史に負けないつらい労働状況があったんじゃないだろうか・・とも、思い を馳せてしまいました。

Photo_215

Photo_220

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←西港近くの燐鉱の発掘跡。 

なお、島の人の話では、半右衛門は、連れて来た人達に、30年働いてくれれば、島の土地をあげるという約束をしていたのに、半右衛門の死後、その息子が約束を無視して大東島の経営権を東洋製糖という会社に売ってしまい、島人との間で長年にわたる所有権争いが生じたとのことで、島の人にとっては、半右衛門よりもその息子が悪者のようでした。

 もう1つの島のウリは(名実ともに!)・・そうです、言わずと知れた「さとうきび」Photo_222

というか、沖縄はどこもそうなんだけど、この島は、他の島と比べても、約10キロ平方メートルの面積一杯、ほとんど島中無駄なく整備されて、さとうきび畑になっているという感じです。
 

実は、島の人の話によると、大東島のさとうきびは、普通に取引されて流通に乗るのではなく、すべて政府が買い取っているとか(お米と一緒ですね)。だから、作れば作るほど、島の人の金銭的収入につながるわけです。 一方、島の人は、さとうきび以外の物で商売をするのは悪いことだと思っているとのことで、どんなに魚が釣れるからといって(釣れる量は半端じゃない。)、すべて島内消費で終わってしまうそうです。島の人なりのルールなんですね。 Photo_216

←島で釣れた「ガーラ」の魚拓1メートル50センチ。しかも松方弘樹が船で釣ったとかいうのではなく、磯釣りで釣れたそうです。信じられん。1、2月はガーラ入れ食い状態とか。

Photo_218 ←島の魚市場(といっても、小さな1室です)。
Photo_219 島の人は冷凍というのを信じていないらしく、釣った魚はすべて島内で消費されてしまうから(島の人口約500人)、これで十分なのでしょうね~。

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沖縄って大好きw。青い空、青い海。そして、ゆったり流れる時間。いつか沖縄で暮らせたらいいな~。透明な海でお魚とたわむれる日々。浜辺で水着でごろごろ(^^ [続きを読む]

受信: 2006年11月29日 (水) 18時08分

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