2006年11月30日 (木)

【南大東パート2】(ドライブさーちー編)

 さて南大東二日目は、帰りの飛行機までレンタカーして島巡りしました。南大東は約30キロ平米の大きさで結構大きいのです。北大東の約3倍あって、人口も2倍以上違います。沖縄本島にある伊江島が約20キロ平米程度ですから、かなり大きいのですが、両大東島は、なんといっても、地図上は海の上にポチッと書いてあるだけなので、小さく思われがちなのです。

 というわけで以下、見学したところを箇条書き的に並べることとします。ガイドさんのウンチク受け売り付きです。はっきりいって、超!長いですが(笑)、ゆっくりどうぞ~

Photo_238 まず、南大東島最大の観光名所、星野洞(単に「星野さん」の私有地だからそうネーミングしたらしい。)。これは東洋一の鍾乳洞と言われているようなのですが、見たさーちーの意見としても、間違いなしです。4800万年前から、ひたすら海のどまんなかで、何者にも干渉されずに成長してきただけあって、鍾乳洞の「つらら」がでかいです。上から「つらら」、下から「たけのこ」のように白色の棒がニョキニョキ出ています。見て下さい、この珍しいビックな鍾乳洞を!
Photo_233 Photo_234
Photo_235 Photo_236

Photo_237 この間書いたように、この島は基本的に火山の上に珊瑚礁が乗っっかってできた島なので、この鍾乳洞の岩も当然全部さんごから出来ているそうです。これが証拠写真です。

 こんなに立派な鍾乳洞なのに、やはり孤島なので、観客はさーちーだけ。湿度100パーセントの鍾乳洞なので汗びっしょです。温度一定ということで、南大東島の子供の親は、中学の卒業記念時に泡盛をこの鍾乳洞に置いて、成人したときに飲むそうです。
Photo_239

←「保管中」・・見えますか~?

 ガイドの人の話によれば、大東島は地面の中がスカスカになっていて、あらゆるところにこのような鍾乳洞があると言われているそうです。台風の時に、岸壁に波が打ち付けられると、それに合わせて、島の中にある岩から水が吹き出るそうで、要するに、島全体が「ざる」みたいな感じになっているとのことです。だから、土もちょっと塩分を含んでいて、あまり作物育成に適している訳じゃないのだそうです(さとうきびなら大丈夫ということだそうだ。)。そして、土に塩分があるのでハブが住んでいないとのことです(最初からハブがいなかっただけじゃないか?)。

  ちなみに、この島にはカエルが異常に多いです。道路には車に踏みつぶされたかえるの死骸が散らかっています。
Photo_240 ←生きてるかえるの写真

そもそも、島にかえるがいたということではなくて、サトウキビの害虫を食べるということで持ち込まれたそうですよ。背中に毒をもつかえるだそうで、そのため天敵がおらず、それで大繁殖したとのことですが、肝心な害虫はあまりとらないそうで、ちょっとダメかえるです。

Photo_241
これは、ビジターセンター島まるごと館。ただ、開いているのか閉まっているのか分からず、館の中には客はおらず、ちょっと心配になってしまいました・・(ちょうど修理期間中だったのかも?)。200円払って「さーちー」と名前書いてきました(笑)。

Photo_242
そして、ビジターセンターの隣の元南大東空港跡で作られているのが、コレ、南大東のお酒「COR COR(コルコル)」です。大東のさとうきびで作ったラム酒です。味は正直言ってサーチー的にはTYPHOON再び!(笑)です(コルコルごめん)。まだ2004年からと歴史が浅いので、これからまた熟成させるといいのかな~。

Photo_243 Photo_244
これが噂の元祖大東そばです。
麺が手打ちで、太くうどん(甲府のホウトウみたいな感じ)のようでとっても美味しいです。さーちーが食べた沖縄そばの中でかなり上位にランキングされます。ただ、さーちーの次の次の人は売り切れになっていたので(別に客がそんなにいっぱいいたわけじゃない。あまり麺を多く作ってないだけのことと思われ。)、お昼は早めに行った方が良いと思います。お店のご主人は売り切れになったら、このお店に行くとそばとかが食べれるよなどと商売敵の店を客に教えていました。というか、南大東では商売敵なんてなくて、みんな生活共同体なんでしょうね。

Photo_245 Photo_246
これがシュガートレインです。かつてさとうきびを運んでた幻の離島の列車です。今でも、島の道に一部線路の跡が残っています。これまた、鉄道マニアのロマンをくすぐりますよね~。

 ナイトツアーのガイドさんの話によると、表向きは日本製ということにされていたけど、なんと実はイギリス製だそうで、要するに、開拓時代大東島を支配していた会社が直接外国と貿易して入手したものだそうです。密輸ということらしい。ガイドさんによると、本土より早く電気がつき、電車が走り、電話が島内で通じ、大東島の文化は時代の最先端であったらしく、生活水準は高かったらしいです。

Photo_247
話が飛びますが、これが村指定天然記念物(?)のダイトウビロウという木です。ヤシの木のようでそうでない。いろんなところにいっぱい生えてます。

Photo_248 Photo_249
別名、シロッパと呼ばれていますが、おそらく白い葉から来ていると思われます。さわるとかなり硬かったです。島では、昔は、←の写真みたいな感じで、これで屋根を葺いていたらしいです(島まるごと館の中の展示物)。

Photo_250
これは「海軍棒」というプールです。海軍棒とは、海軍が、ココが日本国の領土であることを示すために建てた棒です(本当は、ロシアに先に発見されていたので、保全のため頑張って現地調査に北らしい)。で、その棒の前に作った自然のプールがこれで、北大東島の「沖縄海」に相当するものですね。プールといってもこのとおり、かなり激烈です。もちろん時期が時期だけに誰も泳いでいませんでした。

Photo_251 Photo_252
Photo_253 これは「大池」です。南大東は真ん中の方にたくさんの池がありますが、そのなかで一番大きいのが大池です。ちなみに、ダイトウオオコウモリはみんな昼間は大池の真ん中の浮島にいるそうです。この池、魚がいっぱいいるのが見えましたが、実は表面40センチくらいが淡水で、その下は海水で海とつながっているそうです。さきほど言ったとおり、島が「ざる」になっていることがここにも現れていますね~。だから、マングローブが生えています。
Photo_254 Photo_255
Photo_256 なんと、海沿いの川ではない内陸の池にオヒルギが群生しているということで、これまた天然記念物に指定されているそうです(やっぱりガラパゴス諸島と一緒で、大陸につながっていない島には珍しいものが多い!)。

Photo_257 Photo_258
これは、「バリバリ岩」という名所です。
地層に亀裂が入った感じのところです。(その間の細いところに、ダイトウビロウが天を目指して頑張って細長く生えてます。)なんでこうなったかは謎らしいです(火山か、地震か)。島が移動している最中にこうなったとの話も。

Photo_259 これが西港(南大東島にも北大東島にも西港がある。)。こちらも、やはり、岸壁の港ですので、クレーンで荷物の上げ下げします。

翻って、これが南大東漁港。まだ建設中です(一部は供用中らしいけど)。

Photo_260
本格的な漁港を作って将来いろいろな漁船が立ち寄れるようにする計画だそうです。今は岸壁に囲まれて漁港がないので、魚がまわりにあふれているのだけども、漁業がいまいちさかんではありませんが(島外へ売りさばく交通手段がないため)、これが完成すれば、著名な漁港として世界に知られることになると思われます(最後の方はさーちーが勝手に書いてる。)。

Photo_261
日の丸展望台からの眺めの 写真です。まさにさとうきびの島ですね。

Photo_262
ドコモの鉄塔です。これがあるので大東島では携帯電話はドコモだけが通じています。詳細については、北大東の頁を参照。

ということで、駆け足で紹介しました。さーちーも、夕方に飛行機に乗って、那覇に帰ったときにはへとへとでした。

 が、何はともあれ、これでさらに大物2島制覇!

  離島制覇まであと18島(スミマセン、最初計算間違いました・・)今後も頑張るぞー!

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006年11月29日 (水)

さーちーは見た!【南大東パート1】

さてさて2日目の夕方には、12キロメートル、所要時間10分の距離を飛行機乗って(世界で一番短い航空路なんだそうです~。)、やってきました南大東へ!!Photo_223

Dsc01180_1 ←↓南大東空港です。

基本的に「岸壁ごつごつ・真ん中平坦」キャラは北大東と一緒ですねん。
Photo_224  Photo_225

Photo_226

沖縄の他の島では、海を見渡すと、何かと島々が見えるのですが、南大東島では、海を見渡しても、北大東島以外の島を見ることはできません(沖大東島(無人島)も仲間のはずなのですが、仲間と呼んでいいのか?というほどはるか南の方にあるので見えません)。いやあ孤島って感じですなあ

宿に着くとテレビ見て一服してから食事に行きました。
これが今夜の宿泊先、「ホテルよしざと」の夕食です。なんとグルクンの唐揚げが丸々一匹出ましたよん。
 Photo_227  

 グルクンといえば、沖縄の県魚。でも、カジキやマグロで有名な南大東でこんな小魚が釣れるのかというのが問題です(でもさすがに「輸入」はしていないんだろうなあ)。ちなみに、ホテルの食堂では三線の音楽が流されていました。南大東出身の歌手がいるらしくて、応援しているようです。

さてさて、夕飯を食べた後にさーちー得意のナイトツアーに出かけました。
ここのナイトツアーは、天然記念物のダイトウオオコウモリを見るためのツアーです!
(ちなみに、最初にツアーのおじさんにダイトウオオコウモリを見れる保証はないと念押しされました。笑)。まあ、鳴き声を真似してみたり(発泡スチロールの切れ端を車の窓にこすりつける。仲間を呼ぶ鳴き声と似ているかららしいが、あの音を間近に聞いて、こっちも泣きそう。)、懐中電灯を持って車の窓から照らしながら30分近くドライブしたり、色々と苦労しました。ダイトウオオコウモリは、最新の調査では、現在、南大東島では270匹の生存しか確認されていない、とても貴重品なのです。

が、結論としては見ましたよダイトウオオコウモリを!!
Photo_228 Photo_229

これが証拠写真です!

なになに、写りが悪いって?まあ、そんなことはとっても小さいことですよ、そこのアナタ(もっとちゃんとした写真を見たい人は、→http://www.okinawatimes.co.jp/spe/sima20000205.htmlhttp://www2r.biglobe.ne.jp/~fruitbat/shashinkan/daitou/daitou.htmへ)。

お手柄さーちーが、不自然に揺れている木を見つけて、懐中電灯で照らしたら、2匹がもぐもぐフクギの木の実を食べているのを発見したわけです(写真には中央に1匹ずつ)。
ダイトウオオコウモリは、その辺(どの辺?)にいる吸血コウモリと違い、「フルーツバット」で、果物しか食べません。目が見えて、超音波は使えません。両手で木の実を持って食べてて、体は白くて雄は金色のマフラーみたいな毛が首の周りに生えてて、逆さにぶらさがっていることを除けば(これが大きい違いですが)、まるでリスなのです(いや、ホントに。)。

ところで、両大東島の沖縄度について簡単にコメントしておきます。
ご存じの通り大東は八丈島系の文化のはず。だけれども、南大東では一応自分たちは沖縄の一部であることを意識したパフォーマンスが目立っていました。

ただ、現地の人で、いわゆるうちなー口の方言を使っている人には会いませんでした。
お墓も亀甲墓は見当たりませんでした。大東島以外の沖縄の島はどんなはじっこでも、あの特徴的な亀甲墓を見ることになりますが、大東島では見当たりません。ハブもいません(もっとも、宮古島や阿嘉島にもハブいないそうだけど)。大東島では、もふつーのトタン作りがほとんどで、沖縄っぽい家はありません(でもシーサーが置いてあることはある。)。
Photo_230 Photo_231
その他に、沖縄のテレビ局が受信できず東京系のチャンネルを受信しているところ、テストをしたら子供達は沖縄県の稲嶺前知事をほとんど知らないところが沖縄っぽくないところです(逆に石原都知事は知っているらしい)。

翻って、ポークランチョンミートが商店に並んでいるところ、さとうきびがそこら辺にいっぱい生えているところ、いつも気温が高いところ、商店の酒棚の一番前に泡盛の瓶が並んでいるところ(菊の露、久米仙、残波が置いてありました。)がとっても沖縄っぽいです。
以上総合すると建国100周年の大東島はいろいろと迷いながらも独特の文化を気付いている最中なのですね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年11月26日 (日)

北大東って、こんな島【北大東2日目】

 朝は幸い、良いお天気!
 大東は、沖縄県にありますが、電波の関係上、沖縄のテレビは入らず、東京のテレビ映像が流れるので、テレビで流れるのは「関東地方のお天気」で、北大東のお天気はちっとも分からなかったのですが(^^;。島の人は、お天気予報を聞くためには、直接島の気象台に電話するか、インターネットで調べるしかないそう。)、良かった良かった。

 またもや、宿でさーちー定番のレンタサイクル(1日1000円)を借りて、出発~。

 北大東島は、昔、火山が沈んだ後の頂上にサンゴ礁が滞積し、その後隆起と沈没を繰り返してできた島だというだけあって、全体が平坦で、サイクリング向き。

  ただ、「長幕」と呼ばれる屏風のような丘が、Photo_207リング状にぐるっとまさに火口のように、盆地になった中心の集落を取り囲んでいます。3時間ほどかけて、さーちー、汗だくになりながら1周しましたよ~(ちなみに、日差しはまるっきり「真夏」です。えっ、11月末だっけ?って感じです。)。

 この島の特徴は、他の沖縄の島と違い、ビーチがまったくないこと。海と接しているところは、←いずれも切り立ったガケPhoto_210

Photo_209から、島の子供たちは海に囲まれて住んでいるのに、海で泳ぐということがなかったらしい(そりゃそうだ、見て下さい、この波。とても泳げません !)。Photo_208
← というわけで、子供達にも泳げるように、天然の岩をくりぬいて、引き潮のときだけ使える天然プール(その名も「沖縄海」!島で唯一)が作られてました。

 物資はもちろん沖縄から船で来るのですが、船が上陸できる所がないため、船からの積荷はすべてクレーンで船から上げ下げしなきゃいけないそうです。

Photo_211

Photo_212 ←港から海の表面までは2メートルくらいの高さがある絶壁なのですが、蟹さんはなんと波にもめげず、この垂直の壁を降りてました~(クリックするとアップになります)。

                      

 100年前の最初の入植者、半右衛門が八丈島から有志を募り、この島 にやってきたときも、島に上陸することができず、何度も沖縄本島に戻って、何度目かのトライでようやく上陸できたほどの天然の要塞なわけです(って誰も守ろうとしてたわけじゃないんだけど)。  

Photo_214 Photo_213

  そして、ココ(←)がその「開拓物語」の歴史的な第1歩である「上陸記念」ポイントです。

 さて、ここまで話に何度か話に出てきている「玉置半右衛門」。やはり大東を語る上で、彼の話は外せないでしょう~。

 その半生をごく簡単にまとめると、50歳にもなって鳥島で、アホウドリの羽毛や肉を海外に直接輸出する商売を始め、大儲けをしたが、その後アホウドリをほぼ絶滅させてしまったため(!)商売が下火になると、60台になって、新たな商売を始めることを思い立ち、しかも超離島である大東島に目をつけ、政府と交渉して30年間の賃下げ許可(開拓権みたいなもの?)を得て(その後さらに交渉もして所有権もゲット)、自らこの島へ移住してきて、南大東島ではサトウキビ産業、北大東島では燐鉱業を始め、成功したという、何ともバイタリティあふれる商売人兼開拓者です。詳しくは充実の北大東HPへ→http://www.vill.kitadaito.okinawa.jp/life/index.html
 なんだかさーちーの好きな吉村昭先生が(今年7月に亡くなられてしまいました。)の小説の題材にぴったりの人物という感じです。

 島では、半右衛門のレリーフも上陸記念ポイントに飾ってあるし、けっこう大切にされている感じでしたが、当時の状況からして、島から抜け出せない状態で、燐鉱労働作業に従事させられていた人もいたり(大体賃金は大東島でしか使えない金券で支払われていたとかいうし)、女工哀史に負けないつらい労働状況があったんじゃないだろうか・・とも、思い を馳せてしまいました。

Photo_215

Photo_220

Photo_221

←西港近くの燐鉱の発掘跡。 

なお、島の人の話では、半右衛門は、連れて来た人達に、30年働いてくれれば、島の土地をあげるという約束をしていたのに、半右衛門の死後、その息子が約束を無視して大東島の経営権を東洋製糖という会社に売ってしまい、島人との間で長年にわたる所有権争いが生じたとのことで、島の人にとっては、半右衛門よりもその息子が悪者のようでした。

 もう1つの島のウリは(名実ともに!)・・そうです、言わずと知れた「さとうきび」Photo_222

というか、沖縄はどこもそうなんだけど、この島は、他の島と比べても、約10キロ平方メートルの面積一杯、ほとんど島中無駄なく整備されて、さとうきび畑になっているという感じです。
 

実は、島の人の話によると、大東島のさとうきびは、普通に取引されて流通に乗るのではなく、すべて政府が買い取っているとか(お米と一緒ですね)。だから、作れば作るほど、島の人の金銭的収入につながるわけです。 一方、島の人は、さとうきび以外の物で商売をするのは悪いことだと思っているとのことで、どんなに魚が釣れるからといって(釣れる量は半端じゃない。)、すべて島内消費で終わってしまうそうです。島の人なりのルールなんですね。 Photo_216

←島で釣れた「ガーラ」の魚拓1メートル50センチ。しかも松方弘樹が船で釣ったとかいうのではなく、磯釣りで釣れたそうです。信じられん。1、2月はガーラ入れ食い状態とか。

Photo_218 ←島の魚市場(といっても、小さな1室です)。
Photo_219 島の人は冷凍というのを信じていないらしく、釣った魚はすべて島内で消費されてしまうから(島の人口約500人)、これで十分なのでしょうね~。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年11月25日 (土)

人は100年、島は4800万年【北大東島】

  帰ってきました、さーちーです。

  やられました、さすが本格派(←島に本格派とそうでないのがあるのか?)。AU携帯は通じませんでした(Docomoは鉄塔まで立ってて使えるのに・・!一説によると、某議員の影響により建ったものとか。)。ということで、リアルタイムレポートはできませんでしたが、相変わらずあふれるウンチクをゲットしてきましたので、事後的ご報告です(笑)。

  まずはタイトルの説明。鶴亀のようですが(笑)、寿命ではありません。 

 大東島は、はるか遠くパプア・ニューギニアの方で約4800万年前に誕生し、その後ゆっくりとフィリピン・プレートに乗って移動してきて、現在の位置に至ったそうです。今でも年間5~7センチ移動しているとか。沖縄まで約380キロだから、100年で約5~7メートル、10万年で5~7キロメートル、ってことは~・・60~80万年で沖縄本島と衝突してしまうーー!!!・・ってだいぶ遠い話か。

  一方、ロシア船に初めて視認されて以来、大東島の初入植者「玉置半右衛門」が開拓を始めたのが1903年人が住み始めて、まだ103年なのです(実は島民に土地の所有権が認められたのはもっと最近の1964年)。日本の中でもかなりの新規開拓地です。そこには、どんな苦労があったのか・・、うーん気になる~!

 ってそんなウンチクを仕入れたところで(笑)、まずは、那覇から南大東へRAC(琉球エアコミューター)で1時間5分それから乗り換えて、さらに北大東島まで約10分です。
 Photo_196          というのも、飛行機は、片道1日1本しかなくて、金・土・日・月は、那覇→北大東島→南大東島→那覇の順に、残りの曜日が、那覇→南大東→北大東→那覇という逆回りなので、今回のように木曜日から両方の島を回ろうと思うと、先に北大東に行っておかないとなのです。うーん、不便すぎる(ちなみに、那覇からは両方の島への船もあるけど、15時間も乗るので、もちろんさーちー的には無理・・。)。

 飛行機はもちろんプロペラ機39人乗りです(6年くらい前までは10人乗りしか飛んでなかったらしい)。他の島に行ったときは、カップルとか若いお客さんが一緒のときが多かったのですが、今回の同乗者の方々を見渡すと、年齢層高めの男性、しかも単身の方が多い!一眼レフカメラで飛行機内から写真を撮っている白髪混じりの初老の男性や、普通のバックパッカーっぽくないジャック・ウルフスキンのリュックとキリっとしたメガネの40台くらいの男性、さーちーと同じ「島巡り」本を熟読中の30台くらいの男性・・。みんな、

 「いつかは、あの大東島へ!

 と長年思っていた夢を、ついに果たしに来たのでしょうか。どこからも離れた絶海の孤島、大東島にはそんなロマンを感じさせるものがあります。

 という想像(妄想?)をしつつ、これらの冒険者達と共に上陸した北大東島空港

Photo_198

Photo_200
小学校の校庭よりも狭い飛行機の発着所のすぐ脇から、すぐに島の文字通りのウリである「さとうきび畑」が広がっています。
  どこまでも続くさとうきび畑を見ながら、早速、島内観光へレッツゴー・・♪と思ったらでした(笑)。しかも、夜になるにつけ、雷雨(涙)。・・でも、最近大東島は干魃に苦しんでいて、主要産業のさとうきびの成長も遅れていたとのことなので、島にとっては恵みの雨だったようです。

 辛うじて、島内の主要集落内のお散歩したところ、以下のとおり。

Photo_201 Photo_202 ←北大東村役場。超新築。

←郵便ポストの上には、島の天然記念物ダイトウオオコウモリが展示されていました。

Photo_204

←北大東中学。島には中学までしかなくて、島の子は、高校進学するために皆那覇で一人暮らしするそう。親御さんも大変・・。

宿泊先は、島の花である「ハマユウ」(ハマオモト)の名前をとった「ハマユウ荘」さん。

Photo_203

←ハマユウPhoto_206 ↓ハマユウ荘中庭。コンクリの打ちっ放しの建物ですが、センスが良くて、部屋も広くて快適でした。

Photo_205 ←宿の晩御飯は、大東島名物、「大東寿司」でした(マグロやサワラを砂糖醤油に漬けたものです。見た目の想像どおりのまったりした味がしました~。 

 北大東散策は、また明日晴れてからです!

| | コメント (2)